【余談】そのうちできるだろう
子供なんて、そのうちできるだろう。
結婚してしばらくしたら、子供も自然に出来るだろう。
誰でも思うことではないでしょうか。
私たち夫婦の場合は、結婚する前に妻から無月経であることを聞いていましたが、正直無月経でも、子供は出来るでしょう、と思っていたので、
「なんとかなるよ!」
なんて言った記憶があります。
「なんとかなるでしょ」
私は頻繁に言ってしまう結構好きな言葉で、言う度に妻からは根拠ねーだろとよく言われます。
が、根拠はなくても前向きな気持ちだけは持っていたいもの💛
そもそも月経の仕組を正確に理解していなかった自分。
つまり、なんともならない。
そのうち出来るだろうは、いつまでたってもできるわけがない、と変化しました。いやいや厳密に言うと、ピルで生理を起こせることを知ってからは、それでいけるんじゃね?とは思っていました。一方で、ピルって精子殺すんじゃなかったっけ?とも思っていましたが、つまるところ
「まぁ、なんとかなるでしょ」
です。desu。もう、能天気すぎて\(^o^)/オワタ
後日談として、妻からの無月経カミングアウト時に、妻は妊娠が難しいことを悟っていたようです。一方、「なんとかなるだろ~」なんて、能天気に思っていた私のここらへんの温度差が不妊治療序盤で妻を苦しめることになります。
自らの生殖器官の異常を、いくらパートナーとはいえカミングアウトするのには勇気がいることで、ましてや子供が欲しいと思っていれば尚更。
パートナーの勇気を受け止め、具体的に何をしていくか一緒に考え話をしていくことがとても大切です。
向き合って話をするってことです。
同じ方向に向かう、同じ歩調で歩むってことです。
妻よりも一生懸命病院を探してみる、一緒に病院へ行く、妻1人で病院に行ったらその日に必ず「お疲れ様、今日はどうだった?」と話をする、自分も精子の検査をする。
どこかで聞いたような、ありきたりで当たり前のこと書いてますが、夫側って意外と出来てない・足りてないんじゃないかな。
聞くのは怖い、聞いても答えが出ないから面倒くさい、正解もない、結論は自分達しか出せない。
でも、話をする時間は必ず作れるよ。作ろうとしないのはズルいってこと。
結婚式の時の誓いの言葉でも思い出してみると良い。
自分も何回もズルしてたなぁ、なんて思い返してるところです。苦笑
1つ目の医院 まとめ
以下、1つ目の医院通院を回想するにあたり、私の所感です。
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◼️行動
妊娠出来ないな、と思ったらまず産婦人科に相談してみる。
これが不妊治療の全ての始まり。
早ければ早いほど良い。
こればっかりは悩んでも何も解決しないので、とにかく早くに医師の元へ行くことは重要。
◼️夫
不妊治療初期は夫の関与はほぼない。これは夫側はなかなか不妊に対する当事者意識を持ちにくいからと推察。女性側はホルモン~卵巣、卵管、子宮等々、あらゆる生殖機能の検査を受けることで不妊というもの対しての実感が湧きやすいが、夫側は精子を検査することしかない。そして大抵の場合精子は有るので(無精子症というのも勿論ある)、有る場合は「体調を良くする」というボヤっとした言葉しか聞けない。体調なんて時々刻々と変わる、そんな誰もが持つ普遍的な理解から「まぁ精子あるんだから自分は大丈夫」となり、従ってなかなか不妊の当事者意識が持ちにくい。と私は思う。
だから世の中不妊治療に取り組んでいる方々のブログを見ても、不妊治療に関して夫に相談したら「大丈夫でしょ、不安なら行ってみたら?」みたいな、他人行儀は会話にしかなっていない。
一方夫側はそんな話をしただけで、一緒に取り組んでいると思っている。
■妻
この温度差に妻は違和感を覚える。しかし、不妊である事実が自分にあることが明確なので、自分の改善が最優先と思う。妊娠しないことへの焦り、もしこれでダメだったらステップアップした時、どんな治療が待っているのかの不安、時間だけ過ぎて確実にリミットが近づいている焦り等々、個人差はあれど大なり小なり「不安」という気持ちを持っている。
一方で、頑張っている自分の横で自分の時間を楽しんでいる夫に対して、ネガティブな感情を持ち始める。
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結局、妻=当事者、夫=サポーターの意識構図になってしまうと思います。
サポーターなのか当事者なのか、夫側がサポーター意識ならば不妊治療は妻の孤独な戦いになりがち。夫婦なのにサポーター、て。苦笑
とはいえ、最初から素晴らしい夫も絶対いると思います。しかし、私は残念ながら良い夫ではなかった。これを書きながら反省の反省です。
絶対言いたいのは
仕事があると平日に病院にいくのは非常に難しいですよね。ただ、土曜日も病院はやっています。仕事がある、これはキラーワードでもなんでありません。結局、仕事を理由に面倒事から逃げてたと思われても言い訳出来ないんですよね。
仕事でも勉強でも初期対応が大事と言われ、教わってきたはずです。不妊治療も全くもって然りです。
1つ目医院 その③
この1つ目の医院には約半年ほど通うことになりますが、不妊治療専門医院ではないので、薬を処方される⇒排卵する⇒生理⇒受診、の流れを数回繰り返し、排卵のタイミングで、
「今回は妊娠してるんじゃんない??」
ワクワク
みたいな、会話をした記憶があります。
結果は、生理がきっちり来るので妊娠するわけもなく、果たしてこのまま同じこと繰り返しても妊娠はしないのでは?と思うようになります。
ただ、上述の通りで「今回は妊娠してるかもね~ワクワク」なんて思っている時点で、私はまだまだ「そのうちできるだろう」と結構本気で思っていることがよくわかります。
ちなみに、医院に行く最後の方で妻は、薬以外でも何か出来ることありますか?と医師へ投げかけたそうで、帰ってきた答えは
「イソフラボンを取ることですかねぇ」
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
「んなことは、わかっとるわい!!」
と思ったそうな。笑
そんなこんなで、不妊治療専門の医院へ転院しようかね、と話をして、自宅からそこそこ近いところに、周辺では有名な不妊治療専門院があったので、そこへ行くことになりました。
ここからが、本格的な不妊治療の開始になりますが、この2つ目の医院で、私は大きな失敗を犯すことになります。
1つ目医院 その②
精子に元気がないと卵子が元気でも妊娠しにくくなってしまいます。
そう、ここで私の精子は問題ないの?という自然な流れになるわけです。
というわけで、精子の運動検査を実施するこになりました。やり方はいたって簡単で、3時間以内に採取した精子を病院へもっていくだけ。
■結果
運動量:△
量:〇
奇形率:多少多め(本来精子は直進運動しますが、直進出来ていない精子は奇形扱い)
再検査決定!
ここの先生は凄く優しくて、「このテストは何回もやって状態を把握しますし、その日の体調などでも変わってきますから、あまり気になさらず。」
精子はあるんだし、体調だって医師も言うんだから、結果は体調と相関なんだよ。大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫
って、体調って何すればいいの?
ネットで調べると、よく寝る・健康的に食べる・よく運動する、だそうです。
ちゃんと3つやってるよ。しいて言うなら肥満だからそれかな?
(運動してるのに肥満・・・してないじゃんに等しい。というか食いすぎだろ過去の自分)
OK、次の採取前は、ビシッと体調を整えていくぜ。
そして2週間後にまた検査の結果発表。
■結果
運動量:〇
量:△
奇形率:多少多め
おいおい、あんまり変わってないじゃんか。
およよ?!
問題ないと思っていましたが、意外と問題あるのか?と多少の胸のザワツキを感じつつも「疲れてるんだろ」という、身勝手な解釈で済ますあたり、まだまだ不妊治療に対して楽観的な私。まだまだ未来は明るいと思っている私。
後々、本格的な泌尿器科にも行く羽目になりますが、それはまた別の機会に。
1つ目医院 その①
子供が欲しいので、とりあえず産婦人科に行くことにする。
「とりあえず」
初めの一歩を踏み出す言葉としては、よく使われるものではないでしょうか。
妻は縁もゆかりもない地へ来たので、知っている産婦人科などあるわけもなく、私が会社の同僚からよく耳にする産婦人科に行ってみれば?というところで「とりあえず」行ってみることに。妻1人で、です。
診断としては、月経を起こすためにクロミッドの錠剤を毎日飲むことで卵子を覚醒させることから始める、という内容になりました。
この時点で、私はピル=避妊薬だと思っていたので、生理が起こる=排卵=妊娠出来るなんて
ん?矛盾してない?????????
と思っていました。
調べろよ、という話なのですが、当時は医師の言う通りにやっていれば「そのうちなんとかなる」と思っていたので、疑問はありましたが特に調べることもせず生活していまたね。
愚かな。疑問に感じたことはその場で調べる、聞くって、小学校の先生に言われたことを守っていない。←(一事が万事・苦笑)
不妊治療は有限なので、一瞬も無駄にできないのに。
ん~、夫婦で取り組むと聞いていたので分かっているつもりでも、実際にやっていたのは妻の話を聞く程度。それで一緒に取り組んでいると思っていた節が大いにあり。
ということで、まぁ排卵すれば、タイミングで子供は出来ると思っている自分がいたので、このころは未来は明る過ぎてましたね。
本当は明るすぎて目つぶっちゃって五里霧中状態なのにさ・苦笑
自己紹介
お米が好きです。炊き込みご飯をおかずに白米が食べます。
お米が好きなので、おにぎりが大好きです。
おかか梅、昆布が特に好きです。コンビニではいつもおかか梅と昆布を選択して、他のおにぎりはチャレンジしません。保守的というわけではなく、筋を通す攻めの姿勢であることを知って頂きたい。
おにりぎの海苔のような、あっても普通すぎてあまり感動はないけど、いないと寂しい、そんな人間でありたいと思っています。
私は現在38歳、妻も同い年。
職業は会社員で、地方で暮らしています。
37歳の時に一卵性双子の娘が誕生しました。
不妊治療は34歳から始めており、結果的に顕微授精で子供を授かっています。顕微受精のトライ回数は3回。そのうちの全てで妊娠はしましたが、初回、2回目は残念な結果となってしまいました。
通った医院に関しては3つ。そのうち、1つ目は普通の産婦人科、2つ目3つ目は高度生殖医療を専門としているところです。
私自身が本気で不妊治療に取り組んだのは3つ目の医院からですし、顕微授精を開始したのも3つ目の医院からなので、本ブログで書く内容としては、3つ目が濃いものとなると思います。
妻は意志が強く、決めたことは身を削ってでもやり抜きます。一方で私は、そんなに意志も強くなく、まぁまぁ流されながらマイペースな性格なので、生活リズムはかみ合わないことが結構あります。まぁ私が怠惰であることが根本要因ではあるのですが。。。
こんな性格ではあるものの、不妊治療に取り組んでいると何回も歩調を合わせる機会が発生しますが、これに関しては意外と上手くいったと思っています。
⇒3つ目の医院だけね・苦笑
(妻もそう思っているはず・願望)
そうそう、妻は生まれてからあまり病院へ行ったことがない、いたって健康体だったようで、病院に行くことへ抵抗と、何よりも担当医師とのコミュニケーションで気後れすることがあります。これはなかなかなの課題になります。聞きたいことが聞けない、消化不良の診療が続くと不安感が増すので、この解消には夫が同席することが効果的だと思われます。ここらへんは後々詳しく書きます。
私達の不妊治療は、タイミングと顕微授精で人工授精へのステップアップはスキップしました。理由は年齢的に高齢であることから、時間も限られているので、タイミングで妊娠しなかった時点で、確率の高い体外受精へ移行することしたからです。
不妊治療を通じで、お互いの性格に関して深いところまで考えることができたことで夫婦としての絆は深まったかなと思います。
はじめに
このブログは不妊治療の備忘録です。
自分がこの経験を忘れないこと、過去について書く=振り返ることで、夫婦や自分自身の考えを今一度整理して未来につなげることを一義としています。
一義と言いつつも、実はちょっとした使命感もありまして、同じような境遇の方にもこの経験をシェアすることで、少しでも参考になればと。
もう少し詳しく書きます。
世の中の不妊治療のブログで目にする多くの書き手の方は女性です。私も不妊治療中は参考にさせて頂きましたし、気持ちが落ち込むときは、同じような境遇の方のブログを探しては、気持ちの整理や、モチベーション維持に活用させて頂きました。
が、男性が書いているブログは、砂漠に降る雨の如く、少ない。(探し方が悪い可能性は否定しません)
やはり同性が感じたことのほうが共感出来る気がするんです。
共感は不妊治療では、大いなる心の味方になると思っています。
従って私の経験でも何か役に立てれば良いなと思い、冒頭のような書き出しになったわけです。
使命感の方が強いんじゃないか??笑い
シンプルに、わかりやすく書いてくつもりなので、多少無機質になることもあるかと思います。題材がなかなかセンシティブなので暗くなりがちですが、多少のユーモアは織り交ぜていきたい。明るい未来のための治療なので、暗くなる必要ないのでね。
更新は不定期ですが、出来るだけ頻度を高めるつもりです。
ではスタート!